◆スコットランドを語る会 活動報告 2019年◆
【第100回】 2019年11月19日(火)18:00〜 参加者22名
発表者:大塚清一郎さん(初代エディンバラ総領事 1991-1992)
テーマ:「嗚呼、懐かしのスコットランド:酒、釣り、ロバート・バーンズの日々」
ロバート・バーンズの肖像画
スコットランドの魅力は色々ありますが、私にはバグパイプ、シングル・モルト、フライフィッシング、ロバート・バーンズの詩……中でも、ロバート・バーンズです。
バーンズは、スコットランドの国民的詩人ですが、貧しい農夫として貧乏を骨の髄まで味わった人でした。しかし、人間の心だけでなく、ネズミ、シラミ、犬に至るまで、「温かいユーモア」で包んで詩に書いています。
最高傑作は、何と言っても《シャンター村のタム》でしょう。2行連句の長文の物語詩で28節もあり、朗唱すると約15分かかります。
私はエディンバラ在住の時、《シャンター村のタム全国朗唱大会》(1992年)に招待されましたので、このユーモアたっぷりの物語詩の暗誦に挑戦しました。今日は、その苦労話をします。

この詩に「カティ・サーク」という名前の魔女が登場します。酒飲みの農夫タムがある嵐の晩、愛馬メグに乗って家に帰る途中、アロウェイという小さな村の廃墟になった古い教会の前を通りかかります。すると中では、なにやらろうそくの光の下で人が騒いでいる様子です。
覗き込んだタムが見たのは、身の毛もよだつ地獄の饗宴でした。壁際には蓋が開いた棺桶がずらりと立ち並び、多くの骸骨がろうそくを掲げています。タムの目は、その中の短い下着の魔女に釘付けになるのです。
「カティ・サーク」とはスコットランドの方言で、cutty(短い)、sark(女性の下着)に由来します。その《短い下着ちゃん》のセクシーな踊りに見とれているうちに興奮のあまり、タムは我を忘れて大声で口走るんですね。「うまいぞ、短い下着ちゃん!」 (Weel done, Cutty-sark!) すると、明かりがぱっと消え、魔女達が怒ってタムを追いかけ始めるのです。
タムは慌てて愛馬メグに鞭打って必死で逃げます。命からがらドゥーン川の石橋の上まで逃げのびますが、橋の真ん中あたりで、ついに魔女に追いつかれてしまいます。一番の早足で追ってきた魔女は、あの短い下着ちゃんの「カテイ・サーク」です。追いすがった魔女は、メグの尻尾をむんずと掴む。タムは必死でメグにひと鞭入れます。その瞬間、「カティ・サーク」が掴んだメグの尻尾がスポッと抜け落ちてしまうんですね。危機一髪で、タムとメグは命辛々助かるという滑稽なお話です。
帆船「カティ・サーク号」の舳先
世界バーンズ連盟会長のチャールズ・ケネディさんの指導で、タムが魔女のカティ・サークに追いかけられる山場のセリフを徹底的に勉強しました。
「うまいぞ、短い下着ちゃん!」(Weel done, Cutty-sark!)のくだりを、私は、「ウェル・ダン カティ・サーク!」とやっていたのですが、ケネディさんは、「それじゃあ駄目ですよ。ウェル・ダンはステーキの焼き方ですよ!そこはウィール・ダン カティ・サーク!と発音するのが正解です」いやはや勉強になりましたね。スコットランド訛りは巻き舌の発音で独特のものがあります。
3ヶ月かけてようやく全文28節を暗誦出来るようになりました。身振り手振りも、ケネディさんに教えてもらって準備万端です。
ところが、なんとも不運なことにある日、東京の外務本省から電話がかかり、「大塚君、申し訳ないけど、3週間後にバンコック大使館に公使として転勤してもらいたい」「えー?そんな無茶な!」お役所の人事なんてそんなものです。結局、全国朗誦大会出場を断念して、泣く泣くバンコックに転勤したのです。
しかし、私は諦めた訳ではありません。いつの日かもう一度、《シャンター村のタム・全国朗誦大会》にチャレンジしたいと密かに思っております。

ところで、バーンズは何故「ゴルフボールに捧げる詩」を書かなかったのでしょうか?
意のままに飛んでくれないゴルフボールに悪戦苦闘するゴルファー達のことをバーンズならきっと面白おかしく書いたに違いありません。
スコットランドに初めてゴルフ愛好者の団体として「エディンバラ・バージェス・ゴルフィング・ソサエティ」が出来たのは1735年です。既に国民的詩人として有名になっていたバーンズは1786年、当時の文化都市エディンバラを訪問しています。しかし、残念ながらゴルフを楽しむ機会はなかったようです。ゴルフをしていれば、ゴルファーの意のままにならない気ままなゴルフボールを茶化した面白い詩を作ったに違いないのです。
そこで私は、バーンズだったら、こんな風に作るのかなと想像しながら英語で面白半分の遊び心でバーンズの詩のあちらこちらからキ−ワードを借用して「ゴルフボールに捧げる詩」を創作してみたのです(和文は意訳したため、英文と和文の詩行は、必ずしも一致しておりません)。そしたら、これが段々評判になりまして、ラジオ局から朗読してくれと頼まれたり、バーンズ・サパーで朗読してくれと頼まれたりして……。
Address to the Golf Ball

Fair for your honest wee white face,
Great Mischieften o' the human race
Weel are ye worthy o' a grace
As lang' s you travel straight.

Ye aim tae reach that distant hill
Nae bother tae play wi' skylark shrill.
The dinky dimples o' your saucy face
Should stay awa safe frae ills o' life,
The whins, waters, traps an' trail
That lie between us and our holy grail.

Ay ye sleekit, tyrannous drunken beastie, gae straight!
Why the hell do ye gae left and right?
Now don' t squat there deep drowned in bunker
Like a stupid fried egg in stinker.

Poor devil, I' ll gie ye one last chance
Tae be my trusty, couthy crony.
If ye wish tae prove yersel worthy o' my gratefu' prayer
For once, gae straight and get in there.

Amen, and grant me a day sae groovy
And a glorious-ever bonnie burdie!
ゴルフボールに捧げる詩

正直そうな小顔の白いボールさん
君は世界一のいたずら小僧
まっすぐ行くならお利口さんよ

君の行き先あっちの方
そう、あの遠い丘あたり
空のひばりとじゃれては駄目よ
上手によけて通りゃんせ
草むら、池、ワナ、行く手の難関

やれやれ、君は酔いどれ天使
どうした、よろよろ右左
お願い、まっすぐ行ってくれ
どうして入るの 嫌いなバンカー
目玉焼きのようなふくれ顔

君はほんとになりたくないか
私のまことの心の友に
チャンスを与える もう一度だけ
一度でいいから まっすぐ行けよ
そして入れよ あの穴へ

アーメン、そうすりゃあ、バーディさ
そして君に捧げる感謝の祈り
なあ、頼むぜよ、ボールさん

(1992年 エディンバラにて 筆者作)
                                      
(文と写真:大塚清一郎)
皇太子の前でバグパイプを吹く大塚駐エディンバラ総領事
(於:エディンバラ総領事公邸 1992年)
【第99回】 2019年9月24日(火)18:00〜 参加者17名
発表者:三宅芙由さん
テーマ:「エディンバラの今を歩く 〜一年間のエディンバラでの留学生活を通して〜」

2017年9月〜2018年9月まで留学生活を送ったEdinburghについてお話させていただきます。
【日常】
まずは生活の拠点であった大学のMcEwan Hallや私が通学したOld medical school、The Meadowsなどについてお話しします。
McEwan Hallの円天井
McEwan Hallは1897年に建築された卒業ホールです。ホールの中は大きなドーム状になっており、イタリアンルネッサンススタイルの豪華な装飾が施されています。Old medical schoolはMcEwan Hallの後方に位置しています。1860年代に現在の位置に建設され、無菌外科手術の開発者、ジョセフ・リスターや作家アーサー・コナン・ドイルなど著名な卒業生や教授を多数輩出しています。The Meadowsは市中心部の南側に位置する巨大な公園で、大学に隣接しているため、多くの学生たちで賑わっています。5月頃には桜並木も見ることができます。
Café Royalのハギスボール
スコットランドの伝統料理と言えば、ハギスですが、ハギスを揚げたもの(ハギスボール)やベジタリアンのためのハギス(ベジハギス)など様々な形でアレンジされたハギスを味わうことができます。アレンジされたハギスはハギス独特の臭みが抑えられていて、比較的どんな人でも食べやすい味になっています。
【季節のお祭り】
Edinburghには四季を通して様々なお祭りがあります。なんといってもEdinburgh最大のお祭りは8月の約1ヶ月間を通して開催されるEdinburgh International Festival(performing artsの祭典)とEdinburgh Festival Fringeです。
Military Tattoo
Fringeの舞台広告
世界の一流パフォーマーが参加するオペラ・演劇・音楽、毎晩エディンバラ城内で行われるミリタリー・タトゥーなどがEdinburgh International Festivalの演目です。
一方で、Fringeとは「周辺にあるもの」を意味し、Edinburgh International Festivalの周辺にあるもの。つまり、プロ・アマや有名・無名問わず、Edinburgh中の至るところで(大学講義室やジムの駐車場なども利用して)、演劇・コメディー・ダンス・音楽などが繰り広げられています。世界各国からパフォーマーが集結し、ふだんのEdinburghとは想像もつかないくらい賑やかで眠らない街に変貌します。
Royal MileのHalloween
10月31日はHalloweenですが、Edinburghでは、この日はSamhuinn(サウィン〔ゲール語〕)の前夜祭とされています。Samhuinnは夏の収穫を祝う行事であり、これはHalloweenの原型の一つとも考えられています。お祭りの様子も私たちがよく知るHalloweenとはずいぶん趣が異なります。かがり火を焚いて、独特な衣装に身をつつんだパフォーマーたちが火を使ったパフォーマンスをしながらRoyal Mileを練り歩き、それを見ようと集まった観衆で熱気を帯びていました。

大みそかから元旦まで続くお祭りをスコットランドではHogmanayと言います。プリンシズ・ストリートでは、たいまつ行列が見られ、年越しには盛大な花火が打ち上げられていました。
【郊外】
少し足をのばして、Edinburgh中心部からバスで30分、田園地帯の中に、ダン・ブラウンのミステリー小説で、その後映画化された『ダ・ヴィンチ・コード』で一躍有名になったRosslyn Chapelがあらわれます。
Rosslyn Chapel
Chapelの正面入り口上部の装飾
1446年に、オークニー伯であり、その後ケイスネス伯にもなったサー・ウイリアム・シンクレアによって建立され、その内外に印象的な彫刻が施されています。また、それぞれの彫刻に関するエピソードも興味深く、こぢんまりした礼拝堂ながら見所がつまっていました。
(文と写真:三宅芙由)
【第98回】 2019年7月11日(木)18:00〜 参加者15名
発表者:國田あつ子さん
テーマ:「スコットランドと花」
図1
フラワーデザインを仕事にしていることから、スコットランドで出会う花々には興味がありました。スコットランドで手に入れたティータオルに、ちょうど良くスコットランドを代表する野の花々が描かれていましたので、この絵を見ていただきながら話しを進めます。(図1)
写真1
最初は何と言っても、Thistle(アザミ)キク科の植物です。(写真1)
スコットランドの国花でありスコットランドの人々に愛されている花です。この植物は世界中に約250〜300種もあるといわれ、北半球に広く分布しています。日本にも100種ほどあり赤紫色をした可憐な花をつける野草です。

では、このどこにでもある野の花が、何故スコットランドの国花なのかというのは、この花が国を救ったという伝説によります。むかしスコットランドが北方のバイキングから度々攻撃を受けていた時代、ある夜侵攻してきた敵の戦士の裸足の足にこのアザミの棘がささり、あまりの痛さに上げた叫び声で味方の戦士たちが目を覚まし、敵を撃退することができたというものです。しかし、このことは正確な史実があるわけではなく、良い話なので多くの人々から長くこの伝説が支持されてきたようです。

スコットランドには数種のアザミが分布していて、伝説のアザミがどの種類かははっきりしませんが、私はSpear Thistle(ヤリアザミ)か、Cotton Thistle(ゴロツキアザミ or オオヒレアザミ)ではないかと思っています。理由はこの二つの種は大型でトゲが痛そうなことと、葉も地面に大きく広がり、花も大きく、夏の終わりに花が熟すとたくさんの種が綿白い綿毛とともに風に乗って拡散され、地に落ち繁殖します。丈夫で繁殖力の強い植物だからです。そのほか、Musk thistle、Welted thistle、Melancholy thistle、Milk thistleなどがスコットランドのあちこちで見ることができます。

アザミを国花として最初に定めたのは、ジェイムズ3世だと言われており、この王の発行した銀貨にアザミのデザインが見られます。また、アザミの花のモチーフは王家の紋章からコイン、スポーツ選手のユニフォームのエンブレムまで昔から現代まで多くのデザインに使われています。スコットランドの最高位のあざみ勲章は、英国全体ではガーター勲章に次ぐ権威ある勲章です。この勲章にもアザミがデザインされています。

次にご紹介するのはScottish Bluebell, or Harebell(ブルーベル)カンパニュラ科の植物です。
ブルーベルこそがスコットランドの国花であると主張する人もいるほど、これもまたスコットランドの人々に愛されている花です。青いベル型の小さな花を咲かせ、繁殖力が強く日向でも日陰でもよく育ちます。
別名のHarebellのHareはピーターラビットのような茶色の野うさぎのことです。野うさぎがたくさんいる野原に、この花が群生することからこう呼ばれているようです。魔女がこの花のジュースを飲んで野うさぎに変身するなど、魔女や妖精にまつわる伝説の多い花です。この花を題名にしたフォーク・ソングも愛唱されています。
写真2
三番目はHeather(ヘザー)ツツジ科の植物です。(写真2)
6月から8月にかけて、この花がハイランド地方の山々を紫色に染めます。Purple Heather 学名Calluna vulgarisは一属一種だそうです。これも繁殖力が強く暑さにも寒さにも強い植物。乾燥させて燃料や屋根や壁の材料、染料や治療薬など紀元前からスコットランドの生活の様々な面で利用されてきました。・・『スコットランド文化事典』(原書房)に詳しいことが解説されています。現在でもFraoch (フルーッホ:ゲール語でヘザーの意)というヘザー・エールが作られています。

またHeather に似たBell Heather(学名:Erica cinerea)は、ヒースまたはエリカと呼ばれ、花はheatherより少し大きく、多種類あり花は昆虫や蜂の密源となっています。ヨローッパの西部にも広く自生していてノルウェーの国花でもあります。
写真3
このほかGorse(ハリエニシダ)マメ科の植物(写真3)はこれもよく見かける常緑低木で早春から黄色い花をつけ鍼のようなトゲがたくさんある。Scotch Broom(エニシダ)は黄色い花をたくさんつけて枝垂れて咲きます。Snowdrops (スノードロップ)早春にうつむいて白い可愛い花が咲く。Purple Heart’s ease (野生の三色すみれ)。Mountain Avens (チョウノスケソウ)高山植物。White-campion (ホワイトカンピオン)牧場などの草むらに見られる白い花。以上この絵に描かれているのは、どれも、強い風や厳しい気候にさらされるスコットランドの大地に咲く花々です。

皆様もスコットランドへお出かけになりましたら、足元に咲く野の花にどうぞ目をとめ楽しんでください。
(文と写真:國田あつ子)
【第97回】 2019年5月20日(金)18:00〜 参加者9名
発表者:山ア一男さん
テーマ:「アバディーンの空手家とチャールズ・ブルース卿、明治維新150周年をお祝いに来日」
仙厳園にて、後ろの山は桜島
中央がワット先生、その左2番目がブルース卿
ブルース卿のはす前が筆者の奥様、ワット先生から右に2番目がブルース卿のご子息
アバディーン市で松濤館空手を指導している範士9段ロニー・ワット先生71歳をリーダーにそのお弟子さんや友人13名が、明治維新150年に当たる2018年に合わせて来日、10月12日から22日まで、九州、京都、東京、山梨を周り、交流を深め、明治維新150年を祝いました。お弟子さんの一人である中学生のお父様は、初代スコットランド王ロバート・ザ・ブルースの末裔、そして江戸幕末の時代に当時のビクトリア女王の命を受けて来日し、日英修好通商条約を結んだ第8代エルギン卿の子孫、チャールズ・ブルース卿でした。

私がアバディーンで剣道を教えていた頃からの武道を通した友人関係で、旅程は全て私がアレンジし、12日の朝、家内と関西空港に全員を出迎えた後、10日間の全行程を同行・案内しました。彼らは先ずは鹿児島県を訪問し島津家の別邸、仙巌園を見学しました。指宿では砂むし温泉を経験、知覧特攻隊博物館を訪問しました。ふるさと維新館では、幕末から明治維新にかけての歴史を勉強しました。
長崎市での空手交流
アバディーンの姉妹都市、そして今年のラグビーワールドカップではスコットランドチームのホストシティーになっている長崎市では、第8代エルギン卿の子孫チャールズ・ブルース卿による長崎県知事、長崎市長の表敬訪問を実現、夕方は長崎市空手道連盟の皆さんと空手の交流、続いて懇親会を行いました。懇親会では空手道連盟の方が詩吟を披露すると、ブルース卿自らスコットランド民謡を歌われました。翌日にはグラバー邸を訪問、長崎原爆資料館も訪問しました。
英国大使館前。
中央がワット先生、そこから左に3人目がブルース卿、右端が筆者
英国大使館での「スコティッシュ侍賞」の授与
途中京都では稲荷大社、金閣寺、平安神宮を観光して東京に入り、東京では英国大使館を表敬訪問後、国会議事堂を訪問・見学、山口、遠山両国会議員から暖かい表敬を受けました。チャールズ・ブルース卿は、第8代エルギン卿が日英修好通商条約調印の為に来日時に日本国から頂いたという江戸の地図のコピーを山口国会議員に贈呈されました。
国会議事堂訪問
当旅行の最後の訪問地甲府では、山梨学院大学を訪問し、当大学の空手道、合気道の先生方と交流した後、武田信玄のまつられている恵林寺を訪問し、茶道の経験もしました。山梨学院大学のウィリアム・リード先生は合気道の大家でワット先生とも面識が有り、山梨学院大学の学生のアバディーンへの留学等も相談されて来ている関係から今回の訪問となりました。
山梨学院大学にて
ウィリアム・リード先生とロニー・ワット先生
ロニー・ワット先生は、空手を広くヨーロッパに広めた功績を評価されて、大英帝国勲章並びに日本国旭日章を受章されております。それらの勲章を頂いた時に、自分も何かをしたいと、アバディーンの船会社に就職して日本とも関係の深いトーマス・グラバーにちなんで「スコティッシュ侍賞」を自ら作り、25年近くに亘り、日本とスコットランドとの文化の懸け橋をされている方々に授与して来ました。しかしながら、多くの賞は外国で授与して来ており、今回の旅のもう一つの目的として日本に住まわれている方々に授与したいと準備されて来ておりました。鹿児島、長崎、東京、甲府の各都市にて、今回、合計約20名の方々にスコティッシュ侍賞を授与されました。

これらの出会いを元に今年の5月には山梨学院大学のウィリアム・リード先生がアバディーンを訪問、9月には長崎市空手道連盟の先生方が空手の交流にアバディーンを訪問する予定が決まっており、交流はまだまだ続きます。                    
(文と写真:山ア一男)
【第96回】 2019年3月29日(金)18:00〜 参加者14名
発表者:田口輝子さん
テーマ:「アン・クリーブスのシェットランド・シリーズ」

スコットランドの最北端の島、シェトランドを舞台にした上等のミステリーをご紹介します。
シェトランド警察のジミー・ペレス警部を主人公にした現代英国女流推理作家のアン・クリーブス(Ann Cleeves, 1954-)のシェトランド四重奏と題されたシリーズです。
玉木亨氏の訳で創元推理文庫より刊行されています。
『Raven Black』(2006) 『大鴉の啼く冬』(2007年7月)
架空の町レイヴンズウィックで新年早々若い娘が絞殺される。容疑者は知恵おくれの、一人暮らしの老人で、彼は8年前の少女の行方不明事件の犯人と思われていて、周囲から孤立している。
事件の捜査にあたるのはシェトランド警察の警部ジミー・ペレスですが、このような難事件ではAberdeenshire & Moray管区から主任警部率いる捜査チームが派遣されます。
『White Nights』(2008) 『白夜に惑う夏』(2009年7月)
白夜の夏、観光船の到着した埠頭でビラを配るピエロ。ペレスの恋人のフランの絵画展会場で記憶を失って泣き崩れる男がいた。翌日その男がピエロの仮面をつけて首をつっているのが発見される。自殺か他殺か。
シリーズを通して事件の背後に石油やエネルギーに関する利権の影がちらつきます。
「シェトランド諸島評議会の自然保護官……は油田開発がもたらした金でもうけられた役職だ。」
「シェトランドの学校はどこでも設備が整い、保守管理がきちんとなされていた。石油はいくつかの集落に問題を持ち込んだが、同時に島全体にそれなりの恩恵をもたらした。シェトランド諸島評議会は石油を陸揚げする会社と……取引を結んでおり、それによって得た収入は、さまざまな地元のプロジェクトに注ぎ込まれていた。」
『Red Bones』(2009) 『野兎を悼む春』(2011年7月)
サンディ・ウィルソン刑事の実家のあるウォルセイ島。中世の商館の遺跡発掘のトレンチで彼の祖母の遺体が発見される。事故か事件か?
ウォルセイ島は面積約20km2、人口 1061人(2013年調)。シンビスターはフェリーが発着する業務用の港。遠洋漁業の拠点となっています。
犯罪現場のトレンチはハンザに加盟している商人の屋敷跡かもしれないという仮説で発掘されたものでした。
【ハンザ同盟】
「13世紀から16世紀にかけて北欧の商業圏を支配した北海周辺の都市同盟。」「中世版のヨーロッパ共同体」
「15世紀のシェトランドは文化的にはスコットランドよりノルウェーに近く、(当時のウォルセイ島は)エディンバラやロンドンよりもリューベックやハンブルグといったハンザ同盟の港町により強い忠義を感じていた。」

【シェットランドバス】(Shetland Bus)
1940年秋にノルウェー海軍によって設置された特殊作戦執行部(Special Operations Executive, SOE)のニックネーム。
ウォルセイ島の住民のあるものはノルウェー沿岸周辺でのレジスタンス活動に参加し、工作員や避難民を荒れる海をものともせず小さな漁船で輸送しました。
「(この船の)建造がウォルセイ島で行われていたかもしれないというのはわたしの(クリーブスの)憶測にすぎません。」
『Blue Lightning』(2010) 『青雷の光る秋』(2013年3月)
ペレスの故郷のフェア島が舞台。バードウォッチャーたちが 宿泊するフィールドセンターで事件が発生するが、おりからの嵐で本島との交通が途絶しペレス警部が孤軍奮闘する。 フェア島 最長4.8km、幅2.4km、 面積5.61km2、人口70人。渡り鳥の野鳥保護区とされている。1954年に、ナショナル・トラスト・フォー・スコットランドが買い上げた。 「島にはパブもレストランもない。」「子供たちは11歳になったあと、ラーウィックにある学校へ入学するため島を離れなければならない。」 スコットランド独自の法機関として地方検察官Procurator fiscalというのがあります。スコットランドの突然死や不審死の捜査(他国の法体制の検死官coronerの役割)や犯罪を起訴するか、起訴のレベルを決定する(治安判事と訴追側弁護士)の役割があります。
【Ann Cleeves】
1954年 イングランド西部ヘレフォードシャー、ヘレフォードに生まれる。
1986年 A BIRD IN THE HANDでデビュー。
2002年 『運転代行人』が英国推理作家協会主催のCWA賞で最優秀短編賞の候補となる。
2006年 『大鴉の啼く冬』で同賞ゴールド・ダガー賞(最優秀長編賞)を受賞。
(田口輝子)
【第95回】 2019年1月24日(木)18:00〜 参加者16名
発表者:佐藤仁美さん
テーマ:「ロバート・バーンズとスコティッシュ・カントリー・ダンス」

「スコットランドを語る会」第95回(2019年1月24日、参加者25名)では、スコティッシュ・カントリー・ダンス(略は、SCD)指導者の佐藤仁美さんにお話しいただきました。
思いがけずロバート・バーンズについての話をするチャンスをいただき感謝しております。つたない話を熱心に聞いていただき、その後の皆様との食事や懇談もとても楽しいひと時でした。思いがけないことや知らなかったお話もお聞きでき、入口と関心のあるものはそれぞれでも、スコットランドに対する気持ちは共通と感じうれしく思いました。

40年以上前にスコティッシュ・カントリー・ダンス(SCD)に出会い、踊っているうちにスコットランドの文化や歴史に関心を持ちました。その中でダンスの先輩はもちろんですが、難波利夫先生とチャールズ・ケネディさんとの出会いが、ロバート・バーンズに導いてくれました。難波先生の格調高い詩の翻訳、小柄な体からほとばしるバーンズやスコットランドに対する熱情溢れるお話が、踊ることにも増して魅力を感じさせてくれました。チャールズさんの力強い詩の朗読、バーンズゆかりの地に案内していただいたことで詩の風景が見えるようになりました。

毎年セント・アンドリュースで開催されるSCDの1週間か2週間のサマースクールに20回位参加し、その都度観光でいろいろな所をまわりました。特にテーマを決めた研究などというたいしたことはしていないので、目についた面白そうなものを自分用のお土産にしていました。でも手元にあるといつでも見られるという安心感でほったらかし、普段は必要な個所をツマミヨミ、ちゃんと目を通すことはなかなかできませんでした。

バーンズについても、今回のことで改めて集まったものを見直すことができ、少し整理できたかなと思っております。これを機会にバーンズ作品の全集も少しずつ目を通そうと思いますが…。 良い機会をいただき本当にありがとうございました。
(佐藤仁美)
佐藤さんは、50年ほど前、1968年頃からフォークダンスを開始され、その中で、スコティッシュ・カントリー・ダンスと出会い、1977年に浦和SCDグループを立ち上げ、指導を続けています。
1990年にRSCDS(The Royal Scottish Country Dance Society)公認指導者の資格を取得しています。
現在は、RSCDS 埼玉ブランチのチェアマン、また、(公社)日本フォークダンス連盟埼玉県フォークダンス連盟の会長でもあります。
今回は「ロバート・バーンズとスコティッシュ・カントリー・ダンス」という演題での楽しいお話をうかがいました。内容は、ロバート・バーンズの生涯、ロバート・バーンズの1787年のハイランドツアー足跡をたどる、ロバート・バーンズの詩とダンス、などでした。
(中尾正史)

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