第1章
第1回 「グラスゴーのハイ・ストリート」

 グラスゴーのライバル都市はエジンバラである。なにかにつけ対立意識の強い両都市だが観光ではエジンバラがグラスゴーを圧倒している。エジンバラの旧市街と、その目抜通りのハイ・ストリートは世界遺産にも登録され観光の中心として著名である。グラスゴーにもハイ・ストリートがあるがエジンバラのハイ・ストリートの趣は無い。道路は石畳でなくアスファルト舗装され車がどんどん走っている。気の利いた土産物があるわけでもなく、多くの観光客がいるわけでもなく何か殺風景である。

 グラスゴーの発祥は紀元6世紀ころ。現在も残る大聖堂(写真右)の辺りに聖マンゴ−が小さな教会を建てた時に遡る。大聖堂が現在の形に整ったのは14世紀頃で、その頃からグラスゴーは大聖堂へ参詣する人でにぎわい発展してきた。言ってみれば門前町だったわけで、町は大聖堂から南のトロン・ゲートへ伸びるハイ・ストリートに沿って出来あがっていった。エジンバラのハイ・ストリートに劣らず歴史は古かったわけである。
 当然多くの歴史的な建造物があったがそのほとんどは18世紀以降に取り壊されてしまった。18世紀に工業と商業の町として急速な発展が始まり、中世時代の建物は住居や商業用に建てかえられた為と、19世紀になってひどいスラムと化したこの地域を再整備したためである。今回はわずかに残る古い建造物を紹介する。

聖マンゴー大聖堂:12世紀から200年かけて建造された。スコットランド各地の大聖堂は16世紀後半の宗教改革でほとんどが破壊されたがグラスゴーの大聖堂は破壊を免れた数少ない一つ。住民が宗教的信条はともかくこの歴史的建造物を守ることを優先したためという。西側には聖マンゴー宗教博物館があり、世界の宗教と人間の営み、宗教美術が紹介されている。
プロバンド領主館(写真左):大聖堂からハイ・ストリートを挟んで反対側にある。15世紀の建物でグラスゴー最古の住居用建造物。当初はすぐ南側にあったチャペルと病院の院長の館であった。宗教改革後は色々な職種の人物が居住した。現在は博物館になっていて中世の生活が偲ばれる。
グラスゴー大学跡:プロバンド領主館からハイ・ストリートを数百メートル南へ行くとジョージ・ストリートとの交差点に来るが、この南西角に1860年代までグラスゴー大学があった。当時この地域のスラム化は凄まじく、貧困、不潔、疾病、闇酒場、売春宿、犯罪等この世の暗部が密集していた。大学が手狭になったこともあるが、この環境は将来を担う大学の"Young Gentleman"には不向きというのが現在の場所に移った理由の一つであった。一時駅舎があったがこれも取り壊され現在は駐車場になっている。大学は壮麗な建物だったそうでその消失は残念である。
トルブース界隈:ハイ・ストリートをずっと南へ下ると終点はトロンゲートとの交差点のトルブースである。交差点の西北の角にトルブース(町役場)があった。トルブース(Tolbooth)という地名はスコットランド各地の自治都市にあるが、語源は税金のトール(Toll)と仕切った部屋のブ−ス(Booth)で、昔はここで税金を徴収したことに由来する。役場には議会、ギルド・ホール、裁判所、刑務所もあったが、19世紀には新しい建物に建て替えられた。現在残っている古い建造物は役場の南東角にあったトルブースの尖塔(1620年代)だけである(写真右上)。時計台、チャイムだけでなく処刑された人物の首も晒されたという。

 グラスゴーのハイ・ストリートに歴史的建造物が少ないのは残念であるが、これは過去3世紀に亘ってこの都市の変化が激しかったことによる。


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