第1章
第3回 「運河散策」

 1年ほど前にグラスゴー市内をバスにのっていた時のことである。車外の丘の下にちょっと変わった景観が見えた。緑の広がる中、水路と何段にもつながる堰である。その時は何だろうな、と思っただけだったが、後にこれはForth-Clyde運河のMaryhill Locks(閘門)と分ったのである。
 Forth-Clyde運河(Canal)はその名のとおり、スコットランド東岸はエジンバラの北側のForth湾と、グラスゴーのClyde湾を、言いかえれば北海と大西洋をつないでいる。建設されたのは今から200年も前ということが分り、この産業革命初期の大事業に興味をそそられ、少し調べてみることにした。
MaryhillのLock(閘門)群
MaryhillのLock(閘門)群:船を、丘に上げたり下げたりするのに使った。傾斜の急なここMaryhillの丘には5基のLockが連なっていて壮観である。
 運河建設の動機は、18世紀中頃から盛んになったスコットランドとヨーロッパ諸国、アメリカ大陸との交易である。鉄道の敷かれる以前、道路も全く整備されていなかった当時の事、物資の輸送にもっとも便利だったのは船であったが、スコットランドの東海岸から西海岸へ行くには難所のスコットランドの北側を迂回しなければならず、非常な時間と危険が伴った。なんとか運河で結べないかというのは当然の願望だった。
 ところが、資金も技術も不充分、機械も無い時代にこれは大変な大事業であり、1768年に着工したが、途中資金難から中断し、完成したのは1790年の事だった。運河の諸元は、総延長56km、巾8m、水深2.5mで作られている。
 Forth湾の起点は、Forth湾に1番奥のグレンジマウス(Grangemouth)、西側の起点はダンバートン(Dumbarton)のすぐ東のボーリング(Bowling)で、運河は原野、丘陵、谷を超えて行くので、途中の登り下りには閘門を設け、谷を超えるには水路橋を渡した。Lockの総数は40である。
スピアー波止場と旧穀物倉庫
スピアー波止場と旧穀物倉庫:Forth-Clyde運河のグラスゴー支線の終点にある。建物はアメリカやカナダから輸入された穀類の貯蔵庫だったが、その後近くのウイスキー蒸溜所の貯蔵庫にも使われた。今はマンションになっている。
 閘門は一対の水門で、船を高い位置から低い位置に下げるには、低い水路側の水門を締めて水を入れ、水位が上の水路と同じになったら高い水路側の水門を開けて船を閘門にいれる。高い方の水門を締めてから、今度は水を抜いて水位を低い水路と同じに下げ、低い側の水門を開けて船を出す、という方法によった。低い位置から高い位置に上げるにはこの反対の操作を行なった。水路橋は谷に掛けた石の橋で、橋の上を運河と船が通った。
 Forth-Clyde運河はその後グラスゴーのすぐ北からグラスゴー支線で市内へ伸び、叉グレンジマウスのすぐ南でエジンバラに向かうUnion運河とつながったので、スコットランドの2大都市グラスゴーとエジンバラは運河で結ばれた。
 完成した運河は、荷物と人の輸送に活躍した。動力船が無かった時代なので運河では馬が船を牽引した。運河の旅は、ゆっくりした馬と閘門の通過に時間がかかったので、早いサービスでもグラスゴーとエジンバラは13時間以上かかったが、それでも陸路よりははるかに快適だった。このように19世紀前半は活躍した運河だったが、その命は長くなかった。19世紀中頃には鉄道が開通したためである。

 その後長年運河は忘れられた存在だったが、近年観光やレジャー目的で見直されている。一部は船が航行できるようになり、運河沿いの道、Towing pathは絶好の散歩道・サイクリング道になっている。私も西の起点のBowlingから、グラスゴーの北西のKirkintilochまで5回に分けて歩いてみた。忘れらていた運河畔は野鳥、魚や草花の自然の宝庫になっているし、歴史遺産も豊富である。いつかエジンバラまで全部歩いてみたいと思っている。
運河を行く遊覧船
運河を行く遊覧船:Forth-Clyde 運河はまだ全部を通行できないが、一部ではこのような遊覧船が運行されている。(グラスゴー郊外のKirkintilochにて)
    運河の白鳥
運河の白鳥:使われなくなった運河は自然の宝庫になった。白鳥は運河の王者の風格で、いつも運河の真中を悠然と泳いでいる。子育ても良く見られる。

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