◆第1回 工部大学校跡地記念碑」虎ノ門
◆第2回 青山墓地
◆第3回 国立科学博物館と旧岩崎邸
◆第4回 江戸東京博物館 常設展示室5階
◆第5回 築地−旧明石町居留地界隈

■ 第5回 築地−旧明石町居留地界隈 ■

日 時:2009年12月3日(木) 
参加者:8名
見学場所:築地−旧明石町居留地界隈

 今回は冷たい雨の中の「スコットランドを探訪」となった。
築地の聖路加病院の周囲、昔の明石町外国人居留地のあとを中心に探訪した。印象的だったことは多くの大学、とくにミッション系の学校発祥の碑が多くあったことで、近代教育がこの居留地から生まれたことがうかがえた。(慶応義塾、女子聖学院、立教学院、女子学院、工学院、明治学院など。)明治学院の創設にはスコットランド長老派教会が深く関与し、初代総長にはヘボンJames Curtis Hepburn(1815-1911)が就任、ヘンリー・フォールズ Henry Faulds (1843-1930)も教鞭をとっていた。

 また、聖路加病院のそばに蘭学事始めの碑、シーボルトの胸像があり、日本の近代医学もここに発祥したことがうかがわれる。ヘンリー・フォールズが創設した聖路加病院前身ともいわれる健康社の跡は碑もなく、民家と低層のビルに囲まれた何でもない街の一角になっていた。
ただ、聖路加ガーデンズのフォールズの旧宅跡には指紋研究発祥の地の碑が建てられていて、フォールズの業績を顕彰している。

 現在の筑波大学付属盲学校の前身である訓盲院創建にもフォールズは参加している。建物はジョサイア・コンドルの設計になったものだそうだが、こちらも名残ひとつなく、商業ビルの並んだ変哲もないビジネス街になっている。ただこちらは筑波大学が顕彰碑を建てる予定だそうだ。

 勝鬨橋そばの海軍経理学校の碑をみたついでにスコットランドには関係なかったけれど、雨宿りをかねて勝鬨橋の資料館を見学する。築地場外市場を通り抜けて水神社そばの海軍発祥の地の碑をみる。明治政府は明治6年に兵学寮に英国海軍から34名の共感団を招き、将校の育成にあたらせた。その団長のアーチボルト・ルシアス・ダグラスArchibald Lucias Douglas(1842-1913)はカナダ生 まれのスコッツである。

 このほかに電信発祥の地の碑、アメリカ公使館跡の碑などもみた。築地明石町が日本の近代文明発祥の地であることは疑いもないが、すべて碑が立つのみで、往時の面影をしのばせるものは何もない。すべて震災と戦災と、そして土地騰貴が破壊してしまったのだろう。
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■ 第4回 江戸東京博物館 常設展示室5階 ■
 
日 時:2009年10月29日(木) 
参加者:10名
見学場所:江戸東京博物館 常設展示室5階
  「銀座煉瓦街」遺構とジオラマ (トーマス・ウオートルス)
  「凌雲閣」模型(ウイリアム・K・バルトン)
 今回はボランティアのガイドをお願いした。当初はバルトン、ウォートルスの業績を中心に東京の部分のみのガイドをお願いしたのだが、歯切れのよい江戸弁の名調子の解説にひかれて予定を変更し、昼食をはさんで午後は6階の江戸の展示も観覧した。スコットランドには関係はなかったがこちらの展示も興味深く、江戸、東京の歴史を堪能した。午前とは別のガイドさんだったが、こちらも説明が行き届き、質問をするとすぐに回答が返ってくる勉強ぶりには感心させられた。

1 「銀座煉瓦街」遺構とジオラマ
 明5(1872)の大火の後、欧米風耐火性煉瓦建築をベースにした首都再建が図られ、アイリッシュ系スコッツの土木技師トーマス・ウオートルス(Thomas James Waters 1842−98)が設計を委嘱された。
ジョージア様式の煉瓦造り三階建、二階建、平屋建から成り階上にはバルコニーを配した異国情緒たっぷりの建物が並んだ。現在の和光の場所にあった朝野新聞の実物大模型、当時の建物の壁の一部、発掘された石畳の遺構などの展示品が当時の面影を見せている。銀座煉瓦街の大きなジオラマでは、朝野新聞社投石事件や、人力車夫のけんかなど、当時の新聞記事となった出来事が紹介され、ガス燈の点る夜の街並みも再現され、いつまで見ていても飽きなかった。

2 「凌雲閣(通称浅草十二階)」10分の一模型
 「日本近代水道の父」と呼ばれるウイリアム・K・バルトン(William Kinninmond
Burton 1856−99)の設計監督。本初の高層建築であり、日本ではじめてエレベーターが設置された建物としても知られている。明治東京を代表する名所の一つだった。大正12年(1923)の関東大震災で8階以上が破損、危険な為爆破処理された。
   
このほかにジョサイア・コンドル設計のニコライ堂、鹿鳴館の模型は、屋根の一部が開いて中の礼拝や舞踏会の様子が再現されるのを見ることができるようになっていて楽しかった。



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■ 第3回 国立科学博物館と旧岩崎邸 ■
 
日 時:2009年07月16日(木) 
参加者:10名
見学場所:国立科学博物館と旧岩崎邸
     
1 国立科学博物館(上野) 日本館 1階
 至急間には、科学と技術の歩み「近代化にむけた人材育成」のコーナーに工部大学校や当時の科学教育に関する資料が展示されていて、ダイバーの写真や、英文で書かれた鉱山学の卒業論文などを見ることができた。

 科学博物館の常設展示は、65歳以上は無料。スコットランドが日本の近代化に大きく貢献したことが実物をみることで改めて実感できた。
 他にも興味深い展示品は多く、一日中見ても見飽きないようだったが、特別展の「黄金のシカン」はあきらめて、炎天下を徒歩で岩崎邸に向かう。

2 旧岩崎邸
三菱の創業者岩崎弥太郎の長男久弥の別邸。昭22国有化。GHQ接収、最高裁司法研修所を経て、東京都が平13に公開。明29ジョサイア・コンドルの設計。グラヴァーの長男・富三郎が学習院生の時、寄宿していた。面積は創建当時の半分ほどになってしまっているが、内装に往時の豪華さがうかがえる。

ここで解散。元気な人たちは再び科博の「シカン展」へ。仕事に戻る人もあったが、一部は岩崎邸の敷地の裏側にある三菱の資料館へ行った。これは三菱経済研究所のあるビルの一角にあり、岩崎邸の住所は台東区だがこちらは文京区湯島になる。岩崎邸が参観者が引きも切らないのに対し資料館は静かで冷房もよく効いていて、ゆっくりと資料をみることができた。創業以来の三菱120年の歴史を動画で見ることができ、また資料の中にはグラバーとの契約書や、グラバーの給与の領収書などJSSにとっても興味深い展示もあった。
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■ 第2回 青山墓地 ■

日 時:2009年05月28日(金) 
参加者:8名
見学場所:青山墓地
 この日は、この後に計画されていた「スコットランドを語る会」講師の稲永丈夫さんと共に青山墓地を探訪ました。

あいにくの雨降りでしたが、以下の人たちの墓前に用意してきた花をにささげて日本の近代化に尽くした人たちの冥福を祈りました。

彼らはすべてがスコティッシュではありませんが、稲永さんはさまざまな理由でスコットランドに関係があったという仮説を立て、明治維新と日本の近代化はスコティシュとスコットランドなくしては成立しなかったという持論を展開されました。外人墓地には関係機関の立てた立派な顕彰碑もあれば、小さな墓石が傾いている墓もあり、もののあわれを感じさせられました。

事跡についての詳細な資料も作られましたので、興味のある方はJSS田口までお問い合わせください。

William Henry Stone(1837-1917)
William Kinninmond Burton(1856−99)
Edwin Dun(1848-1931)
Henry Spencer Palmer(1838-93)
Charles Dickinson West(1847-1908)
Guido Hermann Fridolin Verbeck(1830-98)
Francis Brinkley(1841-1912)
Jack Ronald Brinkley(1887-1964)

W H Stone

F Brinkley
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■ 第1回 工部大学校跡地記念碑」虎ノ門 ■

日 時:2009年04月23日(木) 14:00〜17:00
参加者:13名

見学場所:「工部大学校跡地記念碑」虎ノ門

この碑は近年再開発を終えた文部科学省広場にある。碑文によると、江戸城の外濠に面した旧延岡藩邸の12,000坪の敷地に、ルネッサンス様式の2階建赤レンガ造りの堂々たる大校舎が辺りを睥睨していた。
明治6年に開校。明治19年帝国大学と合併し、帝国大学工科大学(東大工学部の前身)となるまで僅か13年間に、総勢211名の卒業生を世に送り出し、日本の近代化(工業化)に多大の貢献をした。

見学場所:東京大学本郷キャンパス 工学2号館機械学科図書館。
司書の方から、工部大学校の電気学教師だったエアトン(William Edward Ayrton1847-1908)のリリーフや機械学教師ウエスト(CharlesDickinsonWest1847-1908)の授業日誌、卒業写真、教科書等沢山の資料を見せてもらった。
カート一杯の資料を準備し、説明までしてくださった親切には頭の下がる思いだった。そこから工学11号館へ向かう途中の広場で、ウエストとコンドル(Josiah Conder 1852-1920 建築学)の銅像に敬意を表しカメラを向けた。
 工学11号館に入って直ぐのホールの上部の壁面に工科大学の校札がはめ込まれており、金文字が昔の輝きを保っていた。近くにある三好晋六郎(1857-1910)の銅像を見学。彼は、工部大学校を終えてグラスゴウ大学に留学、造船学を修めて帰国後直ちに工科大学の教授になった(その後私学工学院大学の創立に参加、初代総長となった)。
工学1号館の建築学図書館。ここで建築史を専攻する研究員の方から、貴重な工部大学校の古い写真集(有名な浅草江崎写真館撮影)を見せてもらい、薀蓄のある詳しい説明を受けられたのは僥倖であった。
 
 最後に、広報センターで東大の歴史を概観し、散会した。今回は主に工部大学校を巡るスコットランド探訪であったが、近代日本の黎明にスコットランドがいかに深く関わったかを今一度想起する良い機会だった。また極めて貴重な資料を直接拝見する機会をえたことも望外の幸せだった。


工部大学校址碑

三好晋六郎像

三四郎池にて

  Ayrtonのリレーフ

  ウエスト像
  

  工科大学
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